
1960年代は日本の少女漫画にとって、現代に続く表現の基礎が築かれた歴史的な変革期でした。
この時代は週刊誌の登場や貸本漫画の隆盛といった媒体の変化の中で、多くの先駆者たる女性漫画家が恋愛、学園、ユーモアなど多様なジャンルを開拓し、男性漫画家もSFやホラーといった新たな表現をもたらしました。
後の24年組の作家たちへと繋がる、その豊かな表現の進化と、時代を彩った巨匠たちの活躍を深く理解できるでしょう。
- 60年代に活躍した主要な女性・男性少女漫画家とその代表作
- 戦前から60年代にかけての少女漫画の歴史的背景と媒体の変遷(貸本漫画から週刊誌へ)
- 60年代少女漫画における多様なジャンル(恋愛、学園、ホラー、ユーモアなど)の開拓と表現技法の革新
- 「花の24年組」に代表される、後の少女漫画界を牽引する才能がこの時代にデビューしたこと
60年代少女漫画家一覧:黄金期を築いた巨匠たち

- 少女漫画の夜明けを彩った先駆者たち
- 戦前から続く少女漫画の系譜
- 第二次世界大戦後の再興と新たな潮流
- 60年代に活躍した主要漫画家
- 週刊誌時代の幕開けを飾った女性作家たち
- 少女漫画に新風を吹き込んだ男性漫画家
- 少女誌を支えた男性巨匠たち
少女漫画の夜明けを彩った先駆者たち
日本の少女漫画の歴史は、その黎明期から多岐にわたる才能によって彩られてきました。特に1960年代は、戦前から続く伝統と、戦後の新たなメディアの登場が交錯し、現代の少女漫画の基礎が築かれた重要な時代として位置づけられます。
この時期には、後の漫画界に多大な影響を与えることになる先駆者たちが活躍しました。
戦前から続く少女漫画の系譜
日本の少女誌の歴史は、1902年に創刊された『少女界』(金港堂書籍)にその端緒を見出すことができます 。
戦前においては、『少女の友』(実業之日本社、1908年~1955年)や『少女倶楽部』(大日本雄辨會講談社、1923年~1962年)が代表的な存在でした 。これらの雑誌は、単なる読み物を提供するだけでなく、中原淳一や松本かつぢといった、後の少女漫画の表現に大きな影響を与えた画家や漫画家たちの主要な活躍の場となりました 。
松本かつぢは、1934年に『少女の友』の別冊付録として「?のクローバー」を発表しました 。この作品は、西洋風の異国を舞台に、覆面の少女が悪漢と剣を交えて戦う姿を描いており、手塚治虫の「リボンの騎士」に先駆ける「戦う少女」の物語として特筆すべき存在です 。
彼の描く「抒情画」もまた、当時の少女雑誌で絶大な人気を博していました 。また、石田英助が1951年に発表した「カナリヤ王子さま」も、「男装の少女」というキャラクター類型における先行例として挙げられ、その後の作品に影響を与えたと考えられます 。
上田トシコは、1937年に『少女画報』(新泉社)で「かむろさん」の連載を開始し、漫画家としてのキャリアをスタートさせました 。彼女は1957年から『少女クラブ』(講談社)で連載した「フイチンさん」で大きな好評を博し、1960年には第5回小学館児童漫画賞を受賞しました 。
上田トシコは、少女向けユーモア漫画の先駆者であり、女性漫画家の草分け的な存在として、極めて早い時期から活躍した作家の一人として評価されています 。
第二次世界大戦後の再興と新たな潮流

戦後も刊行された『少女クラブ』は、日本の少女漫画史に名を刻む雑誌です。
手塚治虫の「リボンの騎士」(1953~1956年連載)を初めて掲載し、手塚自身が「日本のストーリー少女漫画の第一号」と評した同作は、その後の少女漫画の方向性を決定づけました。宝塚歌劇団の影響を受けた「男装の少女」サファイアを主人公とする「リボンの騎士」は、このキャラクター類型を少女漫画に定着させる上で重要でした。
少女漫画は手塚治虫一人の天才によって生まれたのではなく、戦前からの松本かつぢの「?のクローバー」や石田英助の「カナリヤ王子さま」などの抒情画や物語の蓄積、そして先駆者たちの試行錯誤の上に築かれました。この多層的なルーツが、現代の多様な少女漫画ジャンルの豊かな歴史的基盤を物語っています。
さらに、『少女クラブ』は石ノ森章太郎、水野英子、赤塚不二夫、ちばてつやといった新進気鋭の作家たちが才能を磨く場でもあり、彼らの経験は後の日本漫画史に大きな足跡を残しました。
60年代に活躍した主要漫画家
1960年代は、少女漫画が月刊誌から週刊誌へと移行し、貸本漫画が独自の隆盛を極める中で、多くの女性漫画家がその才能を開花させ、活躍の場を広げた時代でした 。
彼女たちは、多様なテーマや表現手法を少女漫画にもたらし、ジャンルの発展に大きく貢献しました。
週刊誌時代の幕開けを飾った女性作家たち
わたなべまさこは、1952年に赤本『小公子』でデビューし、1957年には『少女ブック』(集英社)で「山びこ少女」を連載するなど、多数の少女向け雑誌で活躍しました 。
彼女の柔らかな筆致で描かれる豪華な洋館やおしゃれなドレスは、当時の少女たちの憧れの生活を表現し、絶大な人気を得ました 。1971年には「ガラスの城」で第16回小学館漫画賞を受賞し 、90歳を超えてもなお現役で活動を続ける、女性漫画家の草分け的存在として知られています 。
1955年デビューの水野英子は、ロマンチックな少女漫画で人気を博し、男女の恋愛を本格的に描いた初の漫画家とされます。その表現は後の恋愛漫画に大きな影響を与え、トキワ荘の生き証人としても知られ、現在も多方面で情報を発信し続けています。
牧美也子は、1957年のデビュー以来、その描く少女像が1967年に発売された初代リカちゃん人形のモデルとなるほど人気を博しました 。彼女は1961年に松本零士と結婚した後も、精力的に活動を続けました 。
むれあきこは、1951年にデビューし、水野英子のアシスタントも務めました 。若木書房の「ひまわりブック」シリーズ第一作『露のあしたに』や「愛と涙のシリーズ」など、多数の貸本単行本を書き下ろし、100を超える作品数を誇りました 。貸本漫画という独自の流通経路を通じて、多くの少女たちの支持を得ました。
今村洋子は、1952年にデビューし、1959年の「チャコちゃんの日記」で人気作家の仲間入りを果たしました 。彼女は、1962年から1982年まで長期にわたり放送された人気テレビドラマ「チャコちゃんシリーズ」の原作者としても知られています 。
西谷祥子は、1961年にデビューし、学園(恋愛)漫画の基礎を築きました 。昭和40年代(1960年代後半)には絶大な人気を誇り、当時の少女たちに深い影響を与え、現在でも尊敬を集めています 。
矢代まさこは、1962年にデビューし、貸本シリーズ「ヨーコシリーズ」(全28巻、1964年~1966年)で人気作家となりました 。彼女の作品は、日常をリアルに描く作風が特徴で、当時の少女たちの共感を呼びました 。
庄司陽子は、2019年時点でデビュー50周年を迎えており、1969年頃にデビューしたと推測されます 。彼女の自伝的漫画「ゴールデン・エイジ」では、少女漫画家を目指す自身の努力と、当時の「少女漫画全盛バブル時代」のエピソードが余すところなく描かれています 。
これらの女性漫画家たちは、わたなべまさこが「憧れの生活」を描き、水野英子が「恋愛」を本格化させ、西谷祥子が「学園もの」の基礎を築き、むれあきこや矢代まさこが「貸本漫画」で人気を博し、上田トシコが「ユーモア」を開拓するなど、多岐にわたるジャンルやテーマを少女漫画に導入しました。
これは、この時代に女性作家自身が多様なジャンルやテーマを開拓し、少女漫画の表現領域を大きく広げたことを示しています。
週刊誌の登場と貸本漫画の隆盛という媒体の多様化が、より多くの女性作家に活躍の場を与え、結果として表現の多様化とジャンル開拓を促進したと考えられます。
この時期に確立された多様なジャンルや表現手法は、その後の少女漫画の発展の基礎となり、現代の少女漫画にもその影響を見出すことができます。
少女漫画に新風を吹き込んだ男性漫画家

1960年代の少女漫画界では、女性作家だけでなく、多くの著名な男性漫画家もその才能を遺憾なく発揮し、重要な役割を担っていました。
彼らは少女誌で連載を持ち、その後の代表作に繋がる萌芽を見せたり、少女漫画特有のジャンルを確立したりすることで、ジャンルの多様化と深掘りに貢献しました。
少女誌を支えた男性巨匠たち
松本零士は、1954年に松本晟名義でデビューし、この時代の少女誌にも多くの優れた作品を発表していました 。後の大ヒット作「宇宙戦艦ヤマト」でブレイクする以前から、少女漫画の世界でその才能を発揮していたことは、彼の幅広い創作活動の一端を示しています。
石ノ森章太郎は、1955年に石森章太郎名義でデビューし、1956年から1970年代半ばにかけて少女漫画誌で非常に活発に活動しました 。彼は「サイボーグ009」や「仮面ライダー」などで「漫画の王様」として広く知られていますが、少女漫画への貢献もまた、彼の業績の重要な一部です 。
横山光輝は、1955年にデビューし、1950年代後半の少女漫画誌を支えた作家の一人です 。彼の代表作の一つである「魔法使いサリー」は、初期の魔法少女シリーズとして有名であり、このジャンルの確立に貢献しました 。
また、「墓場から覗く目」(1957年)や「紅こうもり」(1958年)など、ヴァンパイア少女漫画の先駆者でもありました 。彼は「鉄人28号」や「三国志」といった少年漫画の傑作でも知られ、「漫画界の巨匠」と称されています 。
赤塚不二夫は、1956年にデビューし、「ひみつのアッコちゃん」だけでなく、少女漫画誌で様々な作品を発表しました 。彼は「おそ松くん」や「天才バカボン」などで「ギャグ漫画の王様」として名を馳せましたが、少女漫画でもそのユニークなユーモアセンスを発揮し、新たな風を吹き込みました 。
ちばてつやは、1956年にデビューし、「リナ」「ユキの太陽」「1・2・3と4・5・ロク」など、当時の少女漫画誌を多くの人気作で彩りました 。1970年の「あしたのジョー」で社会現象を巻き起こす前に、少女漫画で確固たる地位を築いていたことは、彼の幅広い才能を示しています 。
つのだじろうは、1955年にデビューし、1958年から『りぼん』で連載された「ルミちゃん教室」で絶大な人気を博しました 。後に「うしろの百太郎」のような心霊オカルト漫画を描く以前は、少女漫画で温かい世界観を確立していました 。
楳図かずおは、1955年にデビューし、貸本から少女漫画誌に活動の場を移しました 。彼は衝撃的なホラー漫画で絶大な人気を得て、1960年代後半には『週刊少女フレンド』の看板作家となります 。後の「漂流教室」などで知られるホラー漫画の第一人者として、少女漫画に新たなジャンルを確立しました 。
古賀新一は、1958年にデビューし、貸本の世界で異様なホラー漫画を描いていました 。1960年代後半には『週刊マーガレット』のホラー漫画の看板作家となり、楳図かずおと並び称されるホラー漫画家として、少女漫画におけるホラー表現の可能性を広げました 。
これらの男性漫画家たちは、少年漫画やギャグ漫画で名を馳せる一方で、60年代には少女漫画誌で重要な役割を担っていました。
特に横山光輝による魔法少女やヴァンパイア漫画、楳図かずおや古賀新一によるホラー漫画は、従来の少女漫画の枠を超えた新しいジャンルを切り開きました。これは、男性作家が少女漫画の表現の幅を広げ、読者の多様なニーズに応える上で不可欠な存在であったことを示しています。
著名な男性作家たちがキャリア初期に少女漫画誌を重要な実験の場として活用し、ジャンルの融合や新たな表現形式を試みていたことが示唆されます。
少女漫画市場の拡大と週刊化は、多くの作家に連載の機会を提供し、多様な才能が少女漫画の発展に貢献する土壌を形成しました。
これらの男性作家によるジャンル開拓は、少女漫画が恋愛や日常の物語だけでなく、SF、ホラー、ファンタジーといった要素を取り入れ、より複雑で多層的な表現を可能にする基盤を築いたと言えるでしょう。
60年代少女漫画家一覧:時代を彩る多様な才能
- 貸本漫画から週刊誌へ:媒体の変遷
- 貸本漫画の隆盛と独自の流通
- 週刊少女誌の誕生と市場の拡大
- 60年代少女漫画の多様なテーマと表現
- ジャンルの多様化と新しいテーマの開拓
- 表現技法の革新
- 少女漫画界を牽引した「花の24年組」前夜
- 60年代少女漫画家一覧の総括
貸本漫画から週刊誌へ:媒体の変遷
1960年代の少女漫画界は、メディアの形態が大きく変革した時代でした。
貸本漫画の隆盛と、それに続く週刊少女誌の誕生は、少女漫画の制作、流通、そして読者との関係性を根本から変え、その後の発展に決定的な影響を与えました。
貸本漫画の隆盛と独自の流通

1953年~1954年頃、戦後の「赤本」ブームが収束した後、書店を通さずに描き下ろしの漫画単行本を流通させる「貸本漫画」が主流となりました 。
貸本漫画は、小売ではなく貸本屋に卸す目的で作られ、関西から流行が広がり、関東でもブームとなりました 。そのピークは1960年頃とされ、文具屋や駄菓子屋との兼業店舗を含めると、全国に3万以上の貸本屋が存在したと言われています 。
貸本漫画には、一人の作家が全編を描き下ろす単行本形式と、複数の作家の短編が掲載される雑誌形式の短編集がありました 。
1960年代の大阪と東京の代表的な貸本少女漫画短編誌としては、『虹』(金園社)、『すみれ』(金園社)、『花』(わかば書房)、『泉』(若木書房)、『こだま』(若木書房)、『星座』(東京漫画出版社)などが挙げられます 。
むれあきこや矢代まさこなど、多くの女性漫画家が貸本漫画で人気を博し、独自の作風を確立しました 。貸本は、一般書店以外の独自の流通ルートを形成し、後の同人誌や現代のWebコミックなどの前身とも言える存在でした 。しかし、この貸本専門の出版社は1969年頃にはほぼ姿を消すことになります 。
週刊少女誌の誕生と市場の拡大
貸本漫画が隆盛を極める一方で、1960年代には月刊誌が主流だった少女漫画界に「週刊誌」という新たなメディアが登場し、大きな変革をもたらしました 。
講談社は1962年末に月刊誌『少女クラブ』の後継誌として『週刊少女フレンド』を創刊し、「日本ではじめての少女週刊誌」と銘打ちました 。この雑誌からは、望月あきら「サインはV!」、里中満智子「アリエスの乙女たち」、大和和紀「はいからさんが通る」、庄司陽子「生徒諸君!」など、次々とヒット作が生まれました 。
集英社は、その対抗馬として1963年5月に『少女ブック』の後継誌として『週刊マーガレット』を創刊しました 。100万部を無料配布するという大規模な宣伝戦略とともに市場に投入され、『週刊少女フレンド』と激しく競合しながら、少女漫画の週刊誌時代を牽引しました 。
『週刊マーガレット』からは、わたなべまさこ「ガラスの城」、池田理代子「ベルサイユのばら」、山本鈴美香「エースをねらえ!」、神尾葉子「花より男子」など、数々の伝説的なヒット作が連載されました 。
小学館は、1968年5月号から「コミック」の誌名が示す通り「ぜんぶまんが」を謳った『少女コミック』をスタートさせました 。この雑誌は1970年から1978年まで週刊で刊行され、上原きみこ「ロリィの青春」、萩尾望都「トーマの心臓」、竹宮惠子「風と木の詩」など、後の名作を多く掲載することになります 。
60年代少女漫画の多様なテーマと表現
1960年代は、少女漫画がその表現の幅を大きく広げ、多様なテーマを取り込み始めた時代でした。週刊誌の登場と貸本漫画の隆盛が、このジャンルに新たな息吹を吹き込み、後の発展の基礎を築きました。
ジャンルの多様化と新しいテーマの開拓

週刊誌の登場により、より多くの作品が発表されるようになり、スポーツ、恋愛、学園ものなど、多様なテーマが描かれるようになりました 。これは、少女たちの興味関心が多様化し、漫画が提供できるエンターテイメントの幅が広がったことを意味します。
恋愛漫画の分野では、水野英子が男女の恋愛を本格的に描いた先駆者として、その後の恋愛漫画の基礎を築きました 。彼女の作品は、少女たちの心の機微を捉え、共感を呼びました。また、西谷祥子は学園(恋愛)漫画の基礎を築き、当時の少女たちに絶大な人気を誇りました 。彼女の作品は、学校生活の中での友情や恋の物語を通じて、多くの読者の心を掴みました。
ホラー漫画の分野では、楳図かずおや古賀新一が、貸本漫画から少女漫画誌へと活動の場を移し、衝撃的なホラー漫画で人気を博しました 。彼らは1960年代後半の週刊少女誌におけるホラー漫画の看板作家となり、少女漫画に新たなジャンルを確立しました 。横山光輝も初期のヴァンパイア漫画で貢献しており、少女漫画における恐怖表現の可能性を広げました 。
ユーモア・ギャグ漫画の分野では、上田トシコが少女向けユーモア漫画の先駆者として活躍し 、赤塚不二夫も少女漫画誌でギャグ作品を発表し、笑いという新たな要素を少女漫画に持ち込みました 。
社会派・リアル志向の作品も登場しました。矢代まさこは、日常をリアルに描く作風で貸本漫画で人気を博し、少女たちの身近な感情や経験を深く掘り下げました 。
また、「男装の少女」というキャラクター類型は、手塚治虫の「リボンの騎士」に代表されるように、戦前から続くモチーフであり、少女漫画の重要なキャラクター類型としてこの時代に定着しました 。このテーマは、ジェンダーの枠を超えた自由な自己表現の可能性を示唆し、多くの読者に夢を与えました。
表現技法の革新
わたなべまさこの柔らかな筆致や豪華な描写は、少女たちの憧れの世界を表現する上で大きな魅力となりました 。彼女の絵は、当時の少女たちの美的感覚に強く訴えかけ、少女漫画の絵柄の方向性にも影響を与えました。貸本漫画では、商業誌に比べて制約が少なかったため、より実験的で自由な表現が試みられた可能性も示唆されます。これにより、多様な画風や物語の語り口が育まれました。
60年代の少女漫画は、単に恋愛や日常を描くだけでなく、ホラー、SF、ギャグ、スポーツといった多様なジャンルを取り込み始めました 。
これは、少女たちの興味関心が多様化し、漫画が提供できるエンターテイメントの幅が広がったことを意味します。男性作家の参入もこの多様化を後押ししました。少女漫画が「少女向け」という枠組みの中で、いかに多様な「読み物」としての可能性を模索し、読者の潜在的なニーズを掘り起こしていったかを示しています。
週刊誌の競争激化が、各誌に差別化と新規読者獲得のための新しいテーマや表現を求めるよう促し、結果としてジャンルミックスが進んだのです。
これにより、少女漫画は単なる子供向けの読み物から、社会現象を巻き起こす一大エンターテイメントへと成長する基盤を築きました。この時期のジャンル多様化は、その後の少女漫画が「女性漫画」や「TL漫画」など、より細分化されたジャンルへと発展していく土台を築いたと言えるでしょう。
少女漫画界を牽引した「花の24年組」前夜
1960年代後半から70年代にかけて、少女漫画界に大きな変革をもたらした「24年組」(昭和24年前後生まれの作家たち)の多くが、この60年代にデビューしました。彼女たちは、従来の少女漫画の枠を超え、SF、哲学、歴史、心理描写など、より複雑で深遠なテーマを作品に導入し、少女漫画の表現を飛躍的に深化させました。
この時期にデビューした代表的な作家とその功績は以下の通りです。
- 里中満智子(1964年デビュー):『週刊少女フレンド』で「アリエスの乙女たち」などのヒット作を生み出し、新世代の旗手として注目されました。
- 池田理代子(1967年デビュー):『週刊マーガレット』で連載した「ベルサイユのばら」は、少女漫画の歴史に名を刻む不朽の名作となり、歴史ロマンスというジャンルを確立しました。
- 大和和紀(1966年デビュー):『週刊少女フレンド』で「はいからさんが通る」などを連載。現代的な視点とユーモアを兼ね備えた作品で多くの読者に愛されました。
- 美内すずえ(1967年デビュー):「ガラスの仮面」などで知られ、演劇の世界を舞台に少女たちの情熱と成長を描き、長期連載のヒット作となりました。
- 一条ゆかり(1968年デビュー):1970年代の『りぼん』における「おとめチック」ブームを牽引。洗練されたファッションと恋愛模様で当時の少女たちの心を捉えました。
また、萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、木原敏江、山岸凉子など、後に「24年組」と呼ばれる作家たちの多くが60年代後半にデビューし、その後の活躍の基礎を築きました。
彼女たちの作品は、それまでの少女漫画にはなかった内省的で哲学的なテーマや、複雑な人間関係を描き出し、少女漫画の芸術性を高めました。
特に1968年創刊の『少女コミック』は、これらの作家たちの作品を多く掲載し、新世代の表現の場として重要な役割を果たしました。
60年代少女漫画家一覧の総括
1960年代の少女漫画は、その後の日本の漫画文化全体に多大な影響を与える、極めて重要な過渡期でした。
この時代は、戦前から続く抒情画や物語の豊かな蓄積を背景に、手塚治虫の「リボンの騎士」に代表されるストーリー漫画の基礎が確立されました。同時に、貸本漫画の隆盛と週刊少女誌の誕生というメディアの変革が、漫画家たちに新たな発表の場と創作の自由をもたらしました。
このメディアの多様化は、女性漫画家たちが恋愛、学園、ユーモア、リアルな日常といった多岐にわたるジャンルを開拓し、表現の幅を広げる大きな原動力となりました。
また、松本零士、石ノ森章太郎、横山光輝、赤塚不二夫、ちばてつや、楳図かずおといった男性漫画家たちも、少女誌を舞台にSF、ホラー、ギャグといったジャンルを導入し、少女漫画の可能性を大きく広げました。彼らの活躍は、少女漫画が単なる子供向けの読み物から、より複雑で多層的なエンターテイメントへと成長する基盤を築いたと言えます。
さらに、1960年代後半には、後に「24年組」と呼ばれることになる新世代の作家たちが続々とデビューし、少女漫画の表現はさらなる深みと芸術性を獲得する準備が整いました。
この時代に培われた多様なジャンル、表現手法、そして才能の集積は、現代の少女漫画が持つ豊かな多様性の源流となっています。60年代の少女漫画家たちは、まさに日本の漫画史における「黄金期」の礎を築いた巨匠たちであったと結論付けられます。
60年代少女漫画家一覧
作家名 | 代表作品 | 作家の魅力 |
---|---|---|
手塚治虫 | 「リボンの騎士」 | 「日本のストーリー少女漫画の第一号」とされ、宝塚歌劇の影響を受けた「男装の少女」キャラクターを定着させた 。 |
わたなべまさこ | 「小公子」、「山びこ少女」、「ガラスの城」 | 柔らかな筆致で豪華な洋館やおしゃれなドレスなど、少女たちの憧れの生活を描き、90歳を超えてもなお現役で活動を続ける女性漫画家の草分け的存在 。 |
水野英子 | 「星のたてごと」、「白いトロイカ」、「ファイヤー!」 | ロマンチックな少女漫画で圧倒的な人気を獲得し、男女の恋愛を本格的に描いた最初の作家とされ、「女手塚」と呼ばれるスケールの大きい作風が魅力 。 |
牧美也子 | 「緋紋の女」、「源氏物語」 | 彼女の描く少女像が1967年に発売された初代リカちゃん人形のモデルとなるほど人気を博した 。 |
むれあきこ | 「露のあしたに」、「愛と涙のシリーズ」 | 貸本単行本で100を超える作品数を誇り、独自の流通経路を通じて多くの少女たちの支持を得た 。 |
今村洋子 | 「チャコちゃんの日記」 | 1962年から1982年まで長期にわたり放送された人気テレビドラマ「チャコちゃんシリーズ」の原作者としても知られる 。 |
西谷祥子 | 学園(恋愛)漫画 | 学園(恋愛)漫画の基礎を築き、昭和40年代(1960年代後半)には絶大な人気を誇り、当時の少女たちに深い影響を与えた 。 |
矢代まさこ | 「ヨーコシリーズ」 | 日常をリアルに描く作風が特徴で、当時の少女たちの共感を呼んだ 。 |
庄司陽子 | 「生徒諸君!」、「ゴールデン・エイジ」 | 少女漫画家を目指す自身の努力と、当時の「少女漫画全盛バブル時代」のエピソードを余すところなく描いた半自伝的ストーリーが魅力 。 |
松本零士 | 「宇宙戦艦ヤマト」 | 後の大ヒット作でブレイクする以前から、少女漫画の世界でその才能を発揮し、幅広い創作活動の一端を示した 。 |
石ノ森章太郎 | 「サイボーグ009」、「仮面ライダー」 | 1956年から1970年代半ばにかけて少女漫画誌で非常に活発に活動し、「漫画の王様」として広く知られる 。 |
横山光輝 | 「魔法使いサリー」、「鉄人28号」、「三国志」 | 初期魔法少女シリーズやヴァンパイア少女漫画の先駆者であり、「漫画界の巨匠」と称される 。 |
赤塚不二夫 | 「ひみつのアッコちゃん」、「おそ松くん」、「天才バカボン」 | 少女漫画誌でもそのユニークなユーモアセンスを発揮し、新たな風を吹き込んだ「ギャグ漫画の王様」 。 |
ちばてつや | 「リナ」、「ユキの太陽」、「あしたのジョー」 | 当時の少女漫画誌を多くの人気作で彩り、1970年の「あしたのジョー」で社会現象を巻き起こした幅広い才能を持つ 。 |
つのだじろう | 「ルミちゃん教室」、「うしろの百太郎」 | 少女漫画で温かい世界観を確立した後、心霊オカルト漫画も手掛けた多才な作家 。 |
楳図かずお | 「ロマンスの薬あげます!」、「漂流教室」 | 貸本から少女漫画誌に活動の場を移し、衝撃的なホラー漫画で絶大な人気を得たホラー漫画の第一人者 。 |
古賀新一 | 「エコエコアザラク」、「白ヘビ館」 | 貸本の世界で怪奇ホラー漫画を描き、1960年代後半には週刊少女誌のホラー漫画を担う看板作家として楳図かずおと双璧をなした 。 |
里中満智子 | 「アリエスの乙女たち」 | 1964年にデビューし、早くから週刊少女誌で活躍した新世代の旗手 。 |
池田理代子 | 「ベルサイユのばら」 | 少女漫画の歴史に名を刻む不朽の名作を生み出し、歴史ロマンスというジャンルを確立した 。 |
大和和紀 | 「はいからさんが通る」 | 現代的な視点とユーモアを兼ね備えた作品で、多くの読者に愛された 。 |
美内すずえ | 「ガラスの仮面」 | 演劇の世界を舞台に少女たちの情熱と成長を描き、長期連載のヒット作となった 。 |
一条ゆかり | 「おとめチック」ブームを牽引した作品群 | 洗練されたファッションと恋愛模様で、当時の少女たちの心を捉え、「おとめチック」ブームを牽引した 。 |
萩尾望都 | 「トーマの心臓」、「ポーの一族」、「残酷な神が支配する」 | SF、哲学、歴史、心理描写など、より複雑で深遠なテーマを作品に導入し、少女漫画の表現を飛躍的に深化させ、芸術性を高めた 。 |
竹宮惠子 | 「地球へ・・・」、「風と木の詩」 | SF、同性愛、音楽、歴史などを題材に多彩な執筆活動を展開し、少女漫画の表現を飛躍的に深化させ、芸術性を高めた 。 |
大島弓子 | 「綿の国星」、「グーグーだって猫である」 | より内省的で哲学的なテーマや、複雑な人間関係を描き出し、少女漫画の芸術性を高めた 。 |
木原敏江 | 「夢の碑」、「摩利と新吾」、「雨月物語」 | エレガンスな画風と、より内省的で哲学的なテーマや、複雑な人間関係を描き出し、少女漫画の芸術性を高めた 。 |
山岸凉子 | 「アラベスク」、「日出処の天子」、「舞姫 テレプシコーラ」 | バレエの他に、神話、歴史、ホラー、エッセイなど幅広い作風で知られ、より内省的で哲学的なテーマや、複雑な人間関係を描き出し、少女漫画の芸術性を高めた 。 |
【特別寄稿】魂震わす!漫画の真実 〜心に刻む「漫魂」エッセイ〜

日本の漫画が持つ、底知れぬ「魂の力」を深く掘り下げ、あなたの心に響く「人生の真実」を共に探求する場所。それが「漫魂(MANTAMA)」です。
心に響く「自由な自己表現」の物語
1960年代の少女漫画は、単なる色鮮やかなエンターテイメントとして、私たちの前に立ち現れたわけではありません。
そこには、時代を超えて読み継がれる普遍的な問いかけや、深遠な哲学が息づいていました。特に心惹かれるのは、当時の作品が描いた「自由な自己表現の可能性」というテーマです。
この時代、手塚治虫先生の「リボンの騎士」に代表される「男装の少女」のモチーフが、少女漫画に確固たる地位を築きました 。
性別の枠を超え、王子様の衣装をまとい、剣を携えて悪と戦う主人公たちは、当時の社会規範や性別役割分業が色濃く残る中で、どれほどの少女たちの胸を高鳴らせたことでしょう。
それは、単なる物語の奇抜さではなく、与えられた「女らしさ」の型から抜け出し、自身の能力や個性を自由に発揮したいと願う、内なる憧れの象徴だったのではないでしょうか。
制約の多い世界で、しなやかに、あるいは力強く、自らの道を切り拓くヒロインたちの姿は、読者に「あなたも、あなたらしく生きていい」という、静かでありながらも力強いメッセージを投げかけていたはずです 。
性別に縛られず、自分の「好き」を追求する勇気。困難に立ち向かう強さ。それは、現代を生きる私たちにとっても、深く共感できるテーマです。
SNSの普及により、誰もが自分を表現できる時代になった今、私たちは日々「自分らしさ」とは何か、どうすれば自由に生きられるのかを模索しています。
60年代の少女漫画が描いた「自由な自己表現」への希求は、まさにその原点の一つと言えるでしょう。これらの作品は、単なる物語の羅列ではなく、未来への希望や個人の可能性を照らし出す、まるで小さな哲学書のような役割を果たしていたのです。
あの時代の少女漫画に触れることは、私たち自身の心の中にある「自由への憧れ」を再発見する旅なのかもしれません。